アンチスピ的引き寄せの法則。

Qui veut la fin veut les moyens
結果を望む者は手段を望む
フランス語のことわざのこれを元に、
うさうさんが考える引き寄せの法則を書いていきたいと思う。
たぶん、見解はスピリチュアル側の方とは結構違うんじゃないかなぁ。
うさうさん自身はおそらく中立ではあるけれど、アンチスピリチュアル側に限りなく近いと思う。
確かに、スピリチュアルの考え方でもなるほどなーって思う部分もあるから
全否定はしないのだけど、
やっぱり、どうかと思うのよ。
ザ・シークレットは「スピリチュアル」ってカテゴリーを認識する前に読んだことがあったりする。
読んだ時はそんなこともあるかもしれないと思った。
ただ、私が真っ先に思い浮かべたのは科学分野でのことだったけど。
人が思いつくことは実現できるって話。
例えば2足歩行ロボット。ケータイ電話。もっと昔ならテレビだってそう。
うさうさんが思うに絶対に変えられないのは、自然現象と自然法則で、例えば、どんなに願っても太陽は東から登って西へ沈むし、木から落ちたりんごは地面に落ちる。
また、自然災害から出来るだけダメージを少なくする「手段」を施すことはできるけど、それ自体が起こることを止めることはできない。
ただ、先人たちの努力による技術の進歩という「手段」によってで日本であれば、よほど大きな地震や台風以外は痛みを感じることのない現実を「引き寄せていた」ともいえると思う。
ところで、うさうさんは、引き寄せの法則を読んだとき先進国向けの話だとおもった。
先進国に限った話でいえば、基本的に、
「うまくやれば」「思った通りに」ものごとをひきよせられると思うからだ。
ただ、それに必要なのは自分が物事をおこす行動力と、他人説得する力は必要だけれども。
さらにいえば、他人を動かすだけの人望、というか日頃の行いと。。。
というのも、少なくとも先進国と呼ばれている国の中の、
すでに自然による影響を克服した我々にとって、
幸運も不運も起こることの99%は人間関係の中にあるから。
本当に1%以下の割合で例えば大地震、例えば台風のような自然の中での不運に見舞われるけれど、少なくとも私が生まれた頃どころか、祖父母の生まれた時代ですら、本当に一時の不幸な災害以外や戦争(これは人災以外の何者でもないけれど)以外で、作物がとれないから食糧難すらあまりないし、30~40年後だって普通に生きてるだろうって思えるほど、何世代も前から死を意識することはあまりない。
(地球全てがそうだとは言ってない。あくまでも先進国と呼ばれている国の話)
そういう世界観で生きている私たちにとって、フランス語でmonde(モンド)には「世界」って意味と「人々」っていう意味があるんだけど、日本人にとってみても世界は人間社会のことなんだよね。
引き寄せの法則では、宇宙の法則なんて大それたこといっているけれど、フランス語よりちょっとスケールでかそうに盛ってるだけでで、実は宇宙=人間社会じゃね?って思ってたりもする。
そういった世界で生きているということは、相手を納得させたら、自分が欲しい物はほとんど手に入るってことだと思うんだ。場合によっては、自分の願いを表明するだけで、他人の共感さえ得られれば叶ってしまうことだってあるかもしれない。
とはいえ、実際には多くの場合、段階を踏まなければいけないケースがほとんどだし、納得させるための戦略を練らなければいけないし、手段も必要だと思う。
つまり、冒頭の、
Qui veut la fin veut les moyens
結果を望む者は手段を望む
でも、欲しいもののほとんどは手に入るんじゃないかって思う。
さらに「固有名詞的なものにこだわらない」ならば、さらに成就率は高くなると思う。
(例えば、意中の彼なんかはたぶん固有名詞。あとは特定の会社や大学に入るとか。固有名詞にこだわると頑張らないとむずいよねー。)
ただ、その望みはより具体的でなければいけないし、
大きな願いを叶えたい場合は、
より細かい望みを順番に叶えていかないといけないのではないんじゃないか?
って思っている。
(俗にいうところの、計画⇒実行なわけだけどw)
さてさて、ザ・シークレットでは「お金が欲しい」ことの言及があったのだけれども、
正直、うさうさん的に、なぜあの本にその例はちょっと納得がいかない。
というのもお金って、ある意味では究極の抽象物だと思う。
お金自体は「人を働かせる権利を数値化したもの」というのがうさうさんの見解だ。
(経済学的には「労働の対価」とかいうのだけれども、それはもらうお金の話であって、自分がもっているお金は、その逆だと思うの。商品を買うなんていっても、例え天然物だろうが、製造物だとしても誰かが原料なりなんなり取って来て、加工して、さらに値段をつけているから、そこまでに人を働かせたってかんじ。ただし、労働を数値化したものと、そのモノの数値的な価値がイコールとは限らないけれど。)
つまり、お金が欲しいと思うのである以上それはつまり、
「人を働かせる権利が欲しい」ということとイコールなのだから、
札束を思い浮かべても、たぶん成就しないよね。
もちろんみみっちい金銭感覚していると、大きいお金を動かしづらいから、
(うさうさん、まさにコレw)
そういう意味では、思い浮かべるのも悪くはないけれど、
むしろ、どこで使うの?もっといってしまえば、
「他人に何をさせたいのか?」「それには、あとどれだけ必要なのか?」
というあたりが明確にない場合は、おそらくなかなか手に入らないし、
手に入れてどうするの?みたいな。
しかも、もしかしたら、望んでいるものは「お金が必要ではないかもしれない」っていう線も
検討した方がいいかもしれないし、
そもそも「お金が欲しい」ってことすら気のせいで、真の望みが別の部分にあるのかもしれない。
例えば「他人に命令する権利」とかだった場合、自分がお金をもってなくても会社での評価を上げて部下をもてば解決なんてケースもあるかもしれないし、例えば、「社会的ステータス」だった場合だって、ステータスの高い人が他人よりお金を持っているケースの方が多いだろうけど、必ずしも持っている資産の順番にステータスが決まっているわけではないし、そのリストがどこの発行のものかに寄るかもしれない。例えばクレジットカードの信用リストなら一発当てて資産は持っている作家よりも、金銭的には平均の公務員の方が高いなんてことだってあり得るし。
別にお金が一つの方法であるし、それで解決することも多いけれども、それだけじゃない部分だってあると思う。
次に、じゃあどうやってそれを手に入れるの?って話。
もう、それは、自分が持てる能力と相談して、戦略を練るしかないと思う。
ただ、相手を納得させれば、この世界では基本的に大概のものが手に入るってこと。
ちなみに、相手を納得させる一番安易な方法がお金だったりして、
いちいち交渉するのメンドクサイから人間が作ったってかんじだよね!
ってかんじで、ループしちゃうけど、だからお金の流れができるわけで、
大概、お金持ちと呼ばれる人は確かにお金を払ってお金を稼ぐわけで、
実際のところ明確な手法さえ決まっていればそれが一番簡単なのかも。
ただし、より大きなものを望む場合はそれだけ沢山の人を納得させることがあるから難しいということ。それには、カリスマ性なりなんなりの「説得力」は必要だと思う。
そんなかんじに、うさうさんは引き寄せの法則を理解しているわけだけれども、
もしかしたら、運命とか巡り合わせとかっていうものですら、
この先進国のような世界では、ほぼ人間関係だから、
本当の幸運は日頃の行いからっていうのがあながち間違っていないと思う。
(あ、ちなみに、犬のウ○コとか、鳥にフンを落とされた…っていう不運は、天災と同じ扱いで良いと思う。動物絡みだって、もっと悲惨なのあると思うけど。)
例えば、宝くじみたいな本当に作為のない抽選の場合は、
本来の意味での運かもしれないけれども、それすらじぶんで望んで買わなければいけないわけで。
ただ、くじや本当に運にまかせるようなギャンブルをやらない人にとって、
運は、誰と何かをやった結果だけにつきるんだよね。
そして、もっと若いころは周りにロクなヤツがいないと思ったら、
自分もそのレベルだなんて言葉があまり理解できていなかったけれど、
たぶん、学生時代は周りが同級生しかいないのならば、
やっぱり同じレベルしかいなかったから理解できなかったわけで、
この歳になると、なんかよく解る気がする。
例えば、できるだけ知らない人が行く飲み会とかイベントとか、
そういうのに参加すればガンガン新しい知り合いができて、
言い方は悪いけれどもお互いに値踏みして、仲良くできそうならするし、そうでなければ二度と合わないみたいな事が多いんだけど、さらにその友達が別の人を紹介してくれたりとか、私から紹介したりとかもあったりする。そういった「類は友を呼ぶ」的な出会いの中には、とても会えてラッキーだったと思える方も沢山いらっしゃる。
しかも、そういう方とかに相談すると確かに自分でしたいけど無理だと思っていたことがわりかしポロッとできちゃったりするわけで。
そのあたりが解って来たころから、なんか結構ついてることが多い気がするし、
色んなことの幅が広がってきたきがする。
それに、仕事関係では逆に、うさうさんと会えてラッキーだったって言われることが
年々増えて来てて、ちょっとそれは素直にうれしいんだ。
思えば大学を卒業してからちょうど10年だったりして、
そのあたりも絡めて、ちょっとこういう記事も書いてみようかなっておもったのだけど、
この10年間で実は一番自分の中で自分が信じられない出来事ってね、
前にももしかしたら書いたかもしれないけれども、
学生時代一番苦手で勉強してもできないかった英語をなぜか克服して、
気づいたらベラベラまではいかなくともヘラヘラくらいには喋れるようになってて、
さらにフランス語まではじめてしまったことなのよ。
たぶんね、他の方にこれがどれだけのインパクトがあるかは伝わりづらいと思うけど、
「絶対不可能だと思ってたことがなんかできちゃった」みたいな衝撃があって、
何かやりたいと思ったらやればいいんじゃね?みたいな(爆)
ただその過程の中で、英語を喋ること自体が
苦もなく生活の一部になってたのは、たしかなんだよね。
たぶん生活の一部になった願望は成就するんだろうなぁ。
思えば、うさうさんが10年前に思い描いた10年後には、
厳密には、手が届いていないけれども、
「綺麗な自分の事務所」でって辺りをのぞけば、
生活は、ほぼほぼ描いた通りなんだよなぁ。
綺麗な自分の事務所を借りれるくらい働かないとかぁぁぁぁ(笑)
最短なら(死ぬ気で本気をだせば。。。でも出したくないけど)3年で届きそうだけど、
さてはて、「綺麗な自分の事務所」を引き寄せることができるのかは、
うさうさんの腕次第だなぁ。

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