外国人との交流の仕方。異文化の人との交流の仕方。

これからのグローバル社会に逆行すると批判されるの覚悟で、
はじめにいっちゃうけど、
誰が言ったかはしらないけど、
「考え方の違うヤツがいるから国境は存在するんです」
そして、全ての人が同じ文化を持ち、
全ての人が同じ社会規範を持って生活するなんて、
なんてつまらない世界なんだ!って思っている。
そして個人的には、
平和なら、無理にグローバル化なんてしなくてもいいんじゃね?
ってわりかし本気で思ってたり。
でもそれってきれいごとなのかもしれないということもわかっている。
本来は違う相手とは不可侵条約を決めこんで、
仲良くできる場面だけ仲良くしておいたら良いと思うのだけど、
おそらくそれは女の発想で、歴史をみると(現在進行形でニュースもみてもか。)
難しい注文なのだと思う。
でも個人的な交流であれば、
興味があって、仲良くしたい国の方とだけ仲良くして、
えり好みだってしていいと思ってる。
その心は?
という話。(めちゃくちゃ長文。)

人間の言動を構成する要素

さてさて。
以下、大学時代に4単位分くらいは社会学とかやったけど、
基本無勉強なうさうさんが国際交流について
好き勝手に書くというスタンスです。
(とはいえ、もしももう一度大学に行くなら、次はきっと文化人類学にすると思うな。)
ネット上の付き合いが半分以上とはいえ、
いろんな国の人と喋ってみた経験則からかいています。
が、うさうさん自体英語の勉強で他の国の人と話すようになるまで、
日本以外に興味をもっていなくて、
フランス語勉強しはじめるころまでエッフェル塔のまわりは小麦畑だと思ってた
レベルで海外のことを地理の教科書に書いてあったこと以外の内容を知らなかったので、
若干捉え方が特殊なのかもしれないけど、そこらへんはご愛嬌で。
さて、まずは、うさうさんが思う、
とある国の人間の言動構成する要素
その1「文化的(伝統的)社会構造」
その2「表面的伝統文化行動と表現」
その3「時代的(世俗的)文化行動と表現」

実はこの3つにつきるんじゃないかと思っている。
この3つのバランスによって、どこの国の人でも言動やら考え方が決まるのではないかと。

その1「文化的(伝統的)社会構造」

うさうさんが言う文化的社会構造っていうのは、
そもそもその社会が歴史的にあゆんできた、社会のシステムのことで、
このシステムこそが、社会的規範や、その人の持つ行動規範を作る。
規範の示し方は、法律と政治だったり、宗教と戒律やだったりするけれど、
大概は、両方ともという国がほとんどだとおもう。
規範が合わない相手は、1日や2日一緒にいるのだって不快だし、
場合によっては危険だとすら思う。
これが一番重要なのであとからたっぷり書く。

その2「表面的伝統文化行動と表現」

正直これって、いわゆる普通に伝統文化ってかんじで、
ただ、仲良くするには一番関係ない部分だったりするけど、
異文化に惹かれるときはたぶん惹かれるのは、ここよね。
国が地理的に近ければ、似たり寄ったりなことが多くて、
地理的に遠ければ遠い場所の文化ほど、それらの違いに見分けがつきづらい。
例えば、日本からみればヨーロッパはみんな似たり寄ったり。中東も似たり寄ったり。
そして、日本だって中国の影響を多分に受けていて、
欧米人からの視点じゃなくて
我々日本人からみたって中国文化は他の文化に比べれば近い。

その3「時代的(世俗的)文化行動と表現」

これは一般的にサブカルチャーと言われている分野から、
その時代に存在している趣味志向とか。
この文化がちがうと、同じ国の人でもまじでビックリするほど話が合いません(笑)
ジェネレーションギャップなんかもその範疇だけど、
うさうさんが今やっている仕事のクライアントさんのとこなんて、
まさに、世俗文化が違いすぎ。
世代も同じなのに、生きている世界が違うってかんじ。
仕事だし良い大人なので、お互いの専門を尊重することで仲良くやっているけど
プライベートではそんなに遊びに行きたいと思わないし、
仕事以外の無駄口の内容がすっごい限定されているのはお互いたぶん気づいてる(笑)
(世代的に子供のころ流行ったネタとか。人間関係と恋愛話くらい。)
逆に、うさうさんが、ネットで英語の武者修行をしていたころ、
練習相手につきあってくれたのは、外国人だけど同じ世俗文化を持っていた人々。
もっといってしまえば、ほぼほぼIT系の仕事をしていて、アニメ好き、ゲーム好きのうち、
どれかというか、むしろほぼ全部当てはまる人。

つきあえる文化圏の人、人つきあえない文化圏の人

ネット上のつきあいだけなら、よっぽどその1の社会構造と行動規範が違わなければ、
傾倒している世俗文化さえ合っていれば、話は合うのですよ。
リアルの付き合いであれば、行動規範はめちゃくちゃ重要なんだけど、
ネットの場合は一緒に何かをするわけではなくて、
何かきまったサブカルチャーをテーマについて話すだけなら、
行動の規範はそれほど気にならない。
ただね、ものには限度というものがございましてね、
ネットを介して通算3時間程度はなしたくらいで
突然結婚しようとか言うヤツは絶対に無理。

だって、大真面目なんだもん。
いきなりつきあおうっていうやつだっていないのに、そこもすっとばしていきなり結婚。
絶対にのらなかったものの、いかがわしいチャットしようぜなんてびびりもしないけど、
(↑これは許容しないだけで理解の範疇)
いきなり結婚してとか、めちゃくちゃ恐い。
でもこの恐いかんじこそが、日本人の感覚からみた、社会規範の違いであり行動規範の違い。
そして、いうまでもなく彼らの国では社会構造も違うに違いない。
これがまたね、
日本から遠く離れた某国の方なのだけど、そういうやつは、一人じゃなかったorz
はじめはビックリして、2度目でああ、そういう国なのか…と思い、
それからは、申し訳なく思いつつも
その近辺の国の方とは無視を決め込んで返信しないし話さない決めたわけだけど、
ネット上のつきあいですら、相容れないくらいに
行動の規範が大きくかけ離れているというのはこういうこと。
正直なところ、そのときに私が最終的に至った結論的は、
理解できないのであれば、
そもそも近づかないというのが良策ということ。
彼らに、私の考えを押し付けることは、
私のもっている社会的規範を、彼らの文化に押し付けることになり、
彼らの社会的規範を私の文化に押し付けられる筋合いもないし、
そもそもその必要もないと思うの。

考え方の違うヤツがいるから国境は存在する

平和的お互いが共存する、最前の方法は平和的無視。
ふれあわないことが一番だと思っている。
日本みたいに元々海に囲まれている地形のため、
自然の結界=国境という地域では外国が遠すぎて、
逆に国境の意味合いが理解しがたいと思うのだけど、
それこそ、長い歴史の中で、自分たちがひいた国境があるヨーロッパなんかを
考えれば、単純にいってしまえば、
なんか行動規範の違って不快になるから一緒に住まないで
ちょっと遠くに住んでるヤツがいるんだけど、
そいつと陣取り合戦したからひいた。
それが国境ってかんじなんだよね。
(もちろん自然結界によるものも多いと思うけど)
不幸にもそのヨーロッパ人たちによって、
緯度経度などの機械的な国境をひかれてしまったアフリカ諸国などは、
もっと違うというのはわかっているのだけど。

日本の場合。

さてさて、ここまでどちらかというと、
私の話だったけど、日本人に話を広げてみた場合どうか。
日本の場合。
江戸時代まで歴史の中で、長い間、封建社会だった。
武士の時代が終わった今だって、
「いざ鎌倉!」ではないけれども「いざ会社!」みたいな人は、
今でも多くて、そういった長い歴史の中で作られたものではないと思っている。
これが、おそらく日本の社会的規範の源流で、
現代の日本人の行動規範は、開国後の欧米文化の影響も受けたかもしれないが、
そもそもヨーロッパだって長らく封建社会が続いていたので、
いうほど違う社会構造をもっていたわけではないのではないか
というのがうさうさんの考え。
社会構造のみをみれば、案外似ているものをもっていたのではないかって思うの。
(違いを探せば、沢山あるにはあるだろうけど、大筋でみてしまえば)
というのも、ヨーロッパの歴史モノなんてみると、
宮殿のなどの背景、登場人物の名前と階級の名前は違えど
(これはその2の表面的伝統文化だよね。)
そこを、日本のお城にして、登場人物を日本人にして、階級をある程度それに応じて
すげかえれば、おなじ筋のまま、大河ドラマらしきものの出来上がり。
これがね、封建社会じゃないところの地域のものだと、
たぶんそうはいかないんだろうと思う。

社会構造と言動

そして、この社会構造は、わざわざ「歴史的」と書いたように、
ある程度長い歴史の中で培って来た、社会的規範を伴う構造だから、
一朝一夕にはかえられないんだと思うんだ。
もちろん一気に大きく変える方法もあって、それを「革命」という。
うさうさん的に産業系の革命については、好意的にうけとめるけど、
政治革命なんて日本人からみたら失敗に終わっているものがほとんどだ。
その原因を考えてみると、
社会的な問題点や時流にのっとての改善のための自分たちでの構造の修正は
大きな変化をもたらさない代わりに着実であるけれど、
他人からもたらされた構造の変更や
たとえ自分たちの手で行ったにしても
大きすぎる革命は人間たちがついていけなくなり歪み、
結局のところそこから小さな改善では追いつかないほどの構造を修正が必要になり、
中規模に二転三転しないといけない羽目に陥っているのだと思う。
また、どこかの社会構造を丸々他の構造と規範をもった国にもっていったして、
社会・行動規範に合わないから歪みがでてきてしまうのだと思うし、
実際にそういうことが起きている。
さて、話を日本に戻すと、表面的な文化としては近いはずの、
いわゆる特定アジアと呼ばれる国々。
彼らの歴史的社会構造は日本とは大きくかけ離れている。
膨大な面積を誇る方の某国にいたっては、
私自身その国の政治にあまり詳しくないのだけど、
元々それほどには近くなかったものが、
例の革命でより大きくかけ離れたのではないかと。
で、さらにいってしまうと、
社会的規範が違う相手を目の前にしたとき、
人がどう思うかというと、まず非常識だと思い、
その度合いが大きくなるほどに、不愉快を感じる。
おそらくなのだけど、表面的な文化こそ似ていても、
社会的規範が大きく違うからこそ、日本とは相容れないのではないかと思うのだ。
(大国すぎて、良くも悪くもピンキリでいい人も沢山いるんだけど)
白人至上主義と言われかねないけど、
表面的な文化は全く違うけれども、
社会的規範はおおまかには似ているヨーロッパの方が、
表面的文化は似ているけれども
社会的規範がまるで違う近隣国よりも、
それほど不快感がないつきあいができるのではないかって思う。

外国人との交流の仕方

さて、それでは、どう外国人と交流したら良いか?
まず、
興味のあるその2の「表面的文化」に惹かれる相手がいたら、
その1の「相手の社会構造から想定される行動規範」にさぐりを入れ、
安全そうなら(不快にならなくて済みそうならば)、
その3「世俗文化」の当たりからせめていって、
仲良くなる。
いかがでしょう?
時には、全力で逃げる勇気も必要だと思うよ!
あとは、やっぱ行動とか考えとかさっぱり意味不明だとおもったら
こっそりフェードアウトとか(笑)
くさいものにフタをとか言われそうだけど、
それが最大のお互いの尊重になることだってあると思うの。
行動規範が全然意味不明だけど、
表面的な伝統文化が魅力的で仕方ないなら、遠くからただ見ているのも
(たとえばテレビやインターネットなどのヴァーチャルで。)
それはそれで有りだと思う。
でも、その場合は、現実では近づかない。
その方がいいんじゃないかなと思ったり、思わなかったり。
もちろん、違うことが前提。
違うけど、理解できる(orできそうな相手)ならのみ
現実的に交流する。
それくらいでいいんじゃないかなぁなんて思っていたり。

Posted in 語学学習(仏語・英語・西語).

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