良い文章、悪い文章。

うさうさんは、ちょっと時間があると、
地元の大きい本屋さんへ行って読書をしています。
(ほぼ立ち読みだけど。。。よっぽど良い内容じゃないと買わないんだけど、
100冊読んで1冊くらいは買う。そのかわり、本屋さんのレストランは使うw
ちなみにその本屋さんは、関東では結構有名な某レストランチェーンが経営してまつ。
あ、マンガは袋に入ってるから買うけどね!)
元々ストーリーがあるものは、映画とかテレビの映像と、マンガで良いと思ってて、
学生時代の国語でいうところの、説明文とか論説文にあたるものしか読んでいないんだけど、
社会人になってから読んでいるのは、専らビジネス関連の本で、
1回行くと普通に2~4時間ででだいたい5~10冊読んでいて、
(っていっても、端から端まで読む本と、拾い読みだけ、はじめの10ページ読んで置くものとある)
この2年は月に最低20冊、、、多いときだとたぶん100冊くらい読んでる気がする。
その中にあるのは良い本と悪い本。というか良い文章と悪い文章。
一概にはいえないんだけど、とりあえず難しい言葉を使っていれば良いと思っている本は、
表現者としてはいかがなものかとおもっちゃったりします。
もちろん、小説家ではなくて、何かの専門家さんで、副業的に本を書いているのだろうから、
表現の専門家では、ないのかもしれないし、
言葉がわかりやすくても、内容がなければよく無いんだけど。
ただね、それでも、日本語を使っている分には、その言葉を知らないのは、
自分の無知のせいだと思うのね。
問題は流行り始めたばかりの横文字。
せめて、、、初回の1回目だけで良いから、注釈をつけてくれって本気で思うわ。
今流行っているから、このくらいの横文字は知ってて当然でしょ?
と鼻高々に使っている、ビジネス書。最低です。
特にマーケティング関連だったら、なおさら本末転倒。
そんな本は焼かれてしまえば良いと本気で思う(笑)
そんなんだから、中身がない「バカでも解る」みたいのを冠してる本ばっかりが
バカ売れするあたりに、気づけよっっっっ。
と思ってしまうわけで。
え?流行っているのに横文字を知らないような程度の低い読者なんてお呼びでない?
個人的には、別にねフランス語とか中国語並みに外来語を全て日本語化しろとは
言わないんだけど、そもそも横文字ってスペル自体が漢字の部首みたいになっているので、
カタカナ表記だと、とっても解りづらい。
というか、なんで、わざわざ解りづらい横文字使うの?
漢字で置き換えたらいいじゃん。そうじゃなくてもせめて注釈つけてくれ(;´Д`)まじで。
単語の意味のズレってのは確かに解るんだよね。
日本語と英語を比較したときに、似たような言葉でも言葉が示す範囲が違うの。
解りやすい例では
日本語の「氷」は英語でice(アイス)だけど、氷はほぼ氷の意味しかないいけど、英語のiceでは、氷のほかに、凍っている、アイスクリーム、糖衣、あと俗語ではダイヤモンドのこともいうのね。
(参考:ポケットプログレッシブ英和・和英辞典)
そんなこんなで、日本語に訳してしまうと、意味が限定されてしまう、または意味が広がってしまうとういあたりで、言葉を1対1で考える事ができないのは解るんだけど、いかがなものかって思うわけよ。
しかも、カタカナになった時点で、本来の意味とズレていってしまうのが通例なわけで。
例えば、セレブリティは本来金持ちなんて意味は全然なくて、著名人、有名人のこと。
著名人や有名人だったら確かに金持ちである確率は高いかもしれないけど、
無名のくせにセレブ主婦(=ただの金持ち風主婦)とか何事かと思っちゃうし、
そういう言葉って美しくないと思うんだよね。
最近はメンドクサイから私が作る広告記事とかでももらった原稿に書いてあれば
そのまま使うけど、自分で原稿書くなら絶対に書かかないなぁ。
(ブログとかだと適当な文章かきまくりーの、ネットスラング使いまくりーーで、
仕事上の客と本当に尊敬できる人以外にあんまり敬語も使わないの割に
本気で使うときは敬語とかに関して相当うるさいし、正しい日本語の信者であったりする。
でも、間違っている用法だけどみんなが使っているから良いと思うならばそれはちがうと思う。銀座のデパートですら変な敬語が大流行なのは、本当に残念。文法的問題よりも過剰すぎて美しさがない。
言葉の流動性は解るんだけど、敬語に関して言えば、むしろ私の知っている日本語文法が古いと思った方が良いのか本当に判断に苦しむところなんだよね。)
もちろん、横文字の方がそれっぽくて、カッコイイ!なんて思っている、
先生方もいらっしゃるんでしょうけど、実に身がなくて、カッコワルイ。
良い文章っていうのは、基本的に専門的な知識がないことを前提にした中学生が読んでも
解る文章だと思うんだよね。
もちろん、ある程度の下地がある人用の進んだ内容のものもあるんだろうけど、
内容が難しいのと、文章が解りやすいのは別なベクトル(あ、私も横文字w方向性ってことね)なわけで。
ただ、どうしてこういう状況にあるかということを考えてみると、
もちろん、「外来語専用文字」として恐ろしく便利なカタカナというものが存在する
というのも大きいけど、
江戸時代に日本へ来た外国人が、店番をしている街娘が「暇つぶし」に本を読んでいることに、驚いた。
なんて話があるほどの、伝統的な識字率の高さとは裏腹に、
古くは、男(つまりお役所的な文章)が使うのは漢文。
女(どちらかというと文学=趣味)でつかうのはかな文字。
なんて、棲み分けがあったりして、識字率が高かったからこその崇高な文章に対する幻想のようなものがあるのではないかと。
つまり、男たる者(または専門家でもいい)、崇高な文章をかけ!と。
で、漢文を使う変わりに、今度は横文字を使いたくなっちゃうわけですね。
逆に、英語の文章って意外に英語が解るならば解りやすい文章が多い。
というのも、ヨーロッパって文字が読める事自体が、既得権益みたいなもんで、
庶民が文字を読めて知識が分散するなんてこわーーーいって
偉い人が思ってた歴史があったりするのね。
(そもそも漢字を数千字単位で覚えなければいけない日本語と違って、
表音文字で24文字しかないアルファベットなのにも関わらず、
喋れるのに、文盲が現在進行形でいるとか、正直ヒドすぎる。)
結果的に、識字率の高さが明治維新以降の日本の発展の早さの鍵に
なったわけだけど、それは別の話。
そんなこんなで、欧米においては文章自体にに優劣の意識はそれほどなかったりするんじゃないのかと。
(もしかしたら、文章全てが崇高なものなのかも。)
別に、欧米を見習えなんて話では全くなくて、
崇高な文章への幻想は、そろそろ捨ててもよい頃じゃないのかな?
(むしろ、そんなに見習わなくてもいい。敗戦国として、変に劣等感を植え付けるような教育を受けているわけだけど、そんなに欧米に比べて劣っているようだったら、今は失速気味なものの、経済にしろ技術にしろ、なぜトップレースをしていたのかを考えるべき。というか、この失速感の原因の半分は劣等感教育の成果もあるんじゃないかって思ったりもしなくないんだよね。)
と思うのは、崇高な文章を書きたい男ではなくて、
かな文学よりの小娘だからこその考えなのだろうか?
(え?小娘というにはおこがましい年齢?)
なーーーーんて思う今日この頃。
そういえば、10年くらい前に読んだ社説で、最近の娘については仕方ないにしても、NHKの連続テレビ小説の戦前の女性の主人公が「やまとことば」ではなくて漢語由来の熟語を多様する脚本は何事だ!という当初があったというものがあったんだけど、私の文章も言ってる割には、、、漢字ばっかり。

Posted in ブログ.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です